キックボクシング一豆さんにて、大はしゃぎのうちのキッズ。
千代田高校の修学旅行は台湾だそうで、毎月積み立てておりました。いくらずつかは忘れたんですが、そんな多額ではなかったと思います。
台湾。。。美味しいものもたくさんありそう。
海外なんて心配!と思われる方もおられるようですが、ずっと国内にしかいない方が普通に心配です。たまには自分がマイノリティになる経験も必要ではないかと。
むむ?オサレなショップにオサレな塩が!
時々書いたり話したりしてますが、私、高校の初めまでは本当に傲慢な人間でして、日本人が最高だと思い込んでいました。当時、若者たち(特に頭の良くない界隈)では、ヨーロピアンが崇拝され、中国製はバカにされていて、中国人などアジア人に対する偏見も普通にはびこっていました。
東京で一人暮らししながら高校生をしていた当時の私は、何店舗も支店のある大手アミューズメント企業のカラオケ屋さんでバイトをしており、深夜の労働は中国人が多く勤務しておりました。
日本人の親元在住フリーターたちは、こぞって彼らを嫌っていました。その理由は中国人だから何考えてるかわからない。というのが主に口に出す理由でしたが、中国人たちは愛想笑いはないものの、さすが漢字の国の方々、揃いも揃って記憶力半端なく計算機並みの暗算力、自体への対応も俊敏で、人間関係でも聡明、実に非の付け所のない人たちでしたので、単純に差別でした。
しかし当時の私は、年上でイケイケで華やかな日本人のフリーターがかっこよく見えていて、完全に染まっていまして。そんなとき、中国人しかいない店舗へ移動が決まったのです。
こちらはセレクトユーズドショップ「リックル」。ググるべし!
私以外は中国人。何をしている時もずっと中国語。日本でアホな若者からもバカにされて生きていた彼らも、日本人に対していい感情は持っていませんでしたから、そこから涙涙の2週間を過ごしました。今思っても人生で一苦しい時だったように思います。何が苦しいって自分の中から湧き上がる差別心と、何をやっても敵わない無力感。しかし自分から辞めるのも負けたようでシャクだし、それだけはプライドが許さんとかわけのわからないことを言いつつ、あるとき、中国語の嵐の中、意を決して店長(中国)に頼みました。
「一番汚い中国語を教えてくれ」と。
そこで習った「×××」を中国人との仕事中、食事中ひたすら連呼し続け、いつしか中国人の心を鷲掴みにし親友と言われるまでに上り詰めたのでした。
日本でも「うんこ」とか「ちんこ」とか言い続けてたら多分みんな仲良くなっちゃいますよね。その時は何も考えずにただ反骨精神で「悪い言葉を教えろ」って言っただけでしたが、結果的に彼らから学んだことは計り知れなかったし、東京を離れる時まで彼らとは仲良しでした。
あの、日本にいながら中国大陸。
という環境は、駅前留学よりも多くのものを教えてくれました。その後の人生がいかにラクチンになったかといえば、それはもう。今の自分があるのは、あの中国人の洗礼のおかげと言っても過言ではない。
キースといえば、バブリーな時代のアイコン。当時一世を風靡しておりました。これは最近の展示会会場。
ただ、今思い返すと、その頃全ての日本人が彼らに冷たかったわけではなかった。一切の分け隔てなくフラットに付き合っていた人も、ごく僅か(正確には2人)だったけどいて。なぜ自分はああなれないんだろうと悩んだし、その人たちのことが心底羨ましかった。自分が中国人たちと笑い合えるようになったのは、彼らが道筋を作ってくれたことは間違いない。
いい大人に恵まれてきましたねえ、私。シェイシェイ。
安佐南区の老舗ギャラリー「瓢箪堂」にて、楽しい器の個展がぼちぼち始まりますよー。
先日、不登校でカフェにお手伝いに来てくれるRちゃんが、不眠で体調が悪いと言ってました。
不眠の理由はお友達とのすれ違いだったようですが、同じ日本語でも言葉の理解不足で予想だにしない事態の勃発というのは日常茶飯事。
では、英語を勉強して、英語で仕事をしたりする人たちは、慣れない言葉で相当もめているのかといえば、そうゆうわけではない。
なぜか。
それは多分、ああ、こうゆう人もいるんだね、と、さらりと処理するから。
会話をするのは何か目的があるから。
自分にとってその目的が達成できたら、それ以上のことに言及しない。
雑な例えだけど「トイレはどこですか」と聞いて「あっちだよ」と教えてくれたら、それでオッケーなわけで。「あんな言い方してひどい」とか、「ほんとは知ってるくせに」とかいちいち思わない。そんな思考は、依存性の高い幼稚なナルシシズムにすぎないのです。
人間関係に必要なのは、自分がこの人に対して利害云々ではなくどんな目的を持って関わっているのかってところなんだと思う。
つまるところ自発的に用がないならわざわざ関係を築く必要は皆無で。でも、用があるなら、そこを満たせたらオッケーで。さらに言えば拒絶したっていいわけで。パートナーや家族なんかの相互依存がある場合は別だけど、本来それ以上求めたりしなくていいと思う。
私はノーと言えない日本人の典型的な人間だけども、デザインの仕事だと「お客さん(お金を払ってくれる人)とそれ以外」という線引きは猛烈にしている。そうしないと、やってられない。デザインの話になったら、お客さんなのか、そうでないのか、というのを何よりも先にジャッジしている。お客さんなら思いを汲みあげるのは必須だけど、それ以外の人の意見にそれは必要ない、なぜなら少なくとも自分の方がリサーチも勉強もしているから。一般論としては聞くけども。
交友関係も最低限ジェッジすることで、自分を守れたり、自分のやるべきことができたりするんじゃないかと思う。でもそれって経験だよね。学ばなくちゃね。
東京タワーっていつ見てもいいね。
人に対してモヤモヤすることが起きたら、まずは自分にフィードバックして一体自分はこの人に何を求めているんだ、と反省しなくてはならない。
「あれ?私、何やってるんだろう」ってたまにやってみるといいと思うんですよね。三宅さん面白すぎる。
でもなかなかそんな風に考えることは難しい、と思う人は、文化の違う人たちとどっぷり関わったらいい。文化(環境)の違いでこの人はこうゆう反応なんだ、悪意どころか自分に関心なんてそもそもないのね。って体験をたくさんできるから。
ライトアップされた東京タワーが見えました〜。わーいわーい。
夜もぐっすり眠れることでしょう。。ということで、台湾といえばこの名曲。行ってみたいなー、台湾。