田舎の秋はうまい。

写真は、先月の、彩蔵での首脳会議の様子。もちろん、本文とはほぼ関係ない。

うちから車で10分の、料亭彩蔵さんにて。こないだ巨匠たちと。

知ってる方もいるかとは思うのだが、以前、寺子屋しゃんていをやってた頃、三次の養豚場から豚を一頭買いしていた。

たかがカレーランチの店がなぜそんなことを、と、だれもが思うであろう。私も思うわ、今なら。

だが。





フードロスについて語る北村シェフ。さすが!!

私は非常に貪欲なのだ。というか、単にせこいのだ。昔からそうなのだ。





土鍋を開けると、、ま、ま、ま、松茸!!彩蔵さん…予算大丈夫ですかっ

思い返せば子供のころからせこかった。

ゲームするならマリオより桃鉄、漫画読むならギャグ漫画より歴史物、小説なら当時一世を風靡していた、よしもとばななよりもまずは息の長い古典。

なんとなくお得感がある方にバイアスがかかるのだ、その、積み重ねが今に至る。要するに、せこく生きたところで大したことにはならないということだ。この教訓は、子育てには非常に役に立った。

まあ、だから。

カレー作るなら、今の自分に学びになることをしたい。長年のセコリズムからそう思うのは当然で。

当時の私はヒレだのバラだの、部位名も特徴も価値も何も知らなかった。そしてそのことを非常に恥じていたのだ、焼肉屋で、お肉屋で、レストランで。

肉の部位が理解できてない今を、また来年にも引き継ぐのか、、

そう思うと、この養豚場との出会いは、新しいステージに引き上げてくれる、唯一の道だった。

代表の佐藤さんと!

そもそもは、放牧になんとなく興味があり、その養豚場へ勉強にいかせてもらったりしたことがあって、環境保全や循環型農業の勉強だと思って取り組んでいた活動もしたりしてた。

もう、とにかく、、食べて欲しい、みんなに。

しかしなぜ、一頭買いに寄ったのかといえば、やはり養豚場の方から「買ってくれたらうれしい」と言われたからだったのですわ。

もともとは、ふぁーむブッフォ、このカリスマの紹介だったのです。

通い詰めた養豚場の豚たちの表情、その養豚場のオーナー夫妻の日々のお話、屠殺場の方、連携してもらっていたお肉の加工場の方々からなど、あちこちの現場の声と、豚肉の話をあらゆる角度で本当にたくさん教えてもらうことができた上に、すべて目視し、もちろん味見することができたので、、めちゃくちゃ時間もお金もかかったが、それこそ勉強になったのは、そらまあ今なおある事実である。まさに、生きた授業料!

しかし、わたしの授業料説は、もはやハーバード卒からの院、とまで言われている。

どんな酒好きも、彩蔵に行ったら、おすすめの日本酒をお願いすべし。

まあね、どんな事態にも想定外は起こる。んで、ほとんどのケースで原因は当事者にある。詰まるところあまりにも私があれな人間なので、あれなのだ。

…メンタルがめっさ弱いのだ、毎日。あー、やるんじゃなかった〜と思いながら、いやしかしその邪念を打ち払いながら日進月歩な日々なのだ、、そう、一度としてラクな戦いなどないのだ。

しかし、授業料払ったおかげで、物知りになったのと、言葉をそのまま捉えてもいい人としか付き合わなくなった、で、平和に今に至る。

付き合っていい人って何だ。それはたぶん一貫性に尽きて、それって、私みたいな空気の読めない人間にとってはとても重要だったりする。んで、私は一貫性の欠如に対して過剰に過敏だったりする。

とはいえ個人的には矛盾や一貫性のなさに、耽美的と言いましょうか、ジャンコクトーやピカソのような、羨望的魅力を感じるのが人間のサガ。ただ、一緒に仕事をする人はシンプルな人でないと、いつしかお互いに傷つけあってしまうってことが、長年の経験でよくわかっているので(たまに忘れるけど)仕事では一緒にはしない方向で動き、けど仕事以外のお付き合いはしてたりする。矛盾あってこその人間だと思うので。

美しい文章やアートを作る人が、美しい心の持ち主ではないではないですか。アウトプットってそんなもんですよね。

いつも元気なやまのまんなかだと中村社長。

さて、話を戻すと、当時の私はとにかく、ひたすら売って、ひたすら発注したのだが、あるとき「このロースは持って帰らないと奥さんに怒られる」と、養豚場の方に言われたのですよ。

買うことが相手の望むことだと思っていた私は、めっちゃびっくりしたんですよ。

いや、売れたら嬉しいって言ってたから、買ってたんだけど、、、、。売りたくないならいらないんだけど、、、、。

ある日の佐藤さんとmanbo。豚小屋のとなりの畑にて。

人間関係って、いつの間にか、心理的安全性がなくなってたりするもんなんですよね。だからこそ、ある種のヒエラルキーや契約って必須なんだろうと思う。

「なら売らないでくださいよ」としか言えないんだけど、いつの間にかこんな関係を作ってしまってたんだろう、って、反省したわけです、私なりに。

私はいつだって誰に対しても幼稚で、駆け出しで、子持ちで、シングルマザーで、親もお金も地位も学歴もない、という、激しく自由にヒエラルキーの論外で生きていたのですが、時間をかけて構築される個体の感覚というのは、経済活動に準じて変動してしまうものなのです。

常に私が社会的底辺であるのには変わりないのですが、関係性がクローズになると、それが崩れてしまうことがあるのです。いわゆる、ストックホルム症候群のニュースタイル。

そうすると、何が起こるかというと、言いたいことが言えなくなるのです。私が、後ろ盾もない無知で貧しいシングルマザーならなんでも思いの丈を話せたのに、徐々に本心が言えなくなってくるのです。

結果的に、誰も望んでない関係性が構築されてしまう。

カレーやかといいつつ、ビーガンメニューも豊富であった、、

これって誰の上にもあることだと思って、今書いてるんだけど、この対策法はとてもシンプルで、クローズな関係を作らないってことに尽きると思う。

日本はそもそも江戸時代、もしくはその後までも村社会文化。夫婦や親子だからといって二人っきりな関係を作るような社会的状況がなかった。それは、愛する二人にとってはヤキモキしちゃうけど、生涯を通した時、ものすごく安定した社会構想だったのではないかと思う。

なぜなら、関係性が二人っきりのクローズなものにはならないから。

個人の価値観、お互いの価値観、からの、第三者の不特定多数の価値観、、可能な限り共有すれば、、それって結局、マルクスの言ってた、あれになるのでは、、。あれ、なんだっけ、、ぐぐってみて!身をさおく社会と資本によって、個人の自我が概念として定義されるってやつ。

眠い。。

今日はもう寝る。皆の衆、またね〜。

投稿者: manbosblog

広島の県北、北広島町でカサコソ制作作業をしつつ、インドネシアのコーヒー、紅茶、塩の輸入をしてます。時々、産地視察と探検で日本を離れております。以前のブログは→https://manboblog.exblog.jp/ (株)ライフデザインマンボ 代表取締役

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