もっと頑張れ。と言われて育ってまじでよかったと地味に思う。

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仕事をしているといろんな世代の人、いろんな立場の人と関わる。

せっかちな性格上、ついその場の会話を成立させようとしてしまうので、自分と全く異なる人種の人とも、割と会話が成立する。しかし実はほとんどが私の話だったりして、相手の話を全然聞いてなかったりするんですね。。。

近しい友人や仕事でお世話になってる方々は「今私の話!」ってサクッと話を戻してくれるので、ああ、またやっちまった、すみません、と言って謝罪してます、が、この「会話を成立させようとする」性質のせいというかおかげというかで、一ミリも共感できない意見を引き出してしまうことが多々ある。

その中で。若い世代の方の話に「頑張りすぎたから」「頑張りすぎて」というフレーズが多い。それは本人がそう言うんなら、間違いないんだろう。

でも私の世代なら、なんて言うだろうか。多分「キャパオーバー」とか「オーバーワーク」とかじゃないかな。

要は、この仕事に対して、私の力が及びませんでした。とか、私にできる範疇を超えました。とか、そんな意味合いの表現になるのではないだろうか。

これは、いいとか悪いとかではなく、単なるジェネレーションギャップと言うやつだと思う。

私の世代って「もっと頑張れ!そんなもんか!」と叱咤激励されながら育ったマッチョな世代だと思う。私の置かれた環境は特に、やばい界隈だった。泣こうが喚こうが親にグーでパンチされることも日常だったし、学校で先生にビンタされて顔に手形がついたり、みんなの前で正座させられたり、そんな青春を謳歌していたわけで。

小学校の頃は学級代表とかやって頑張ってたけど、まつげとか眉毛とか、そのうち髪の毛どかどんどん抜いちゃう脱毛症は5年生から発症してるからさ。(いまだにちょっとストレス感じたらサクサク抜いちゃうもんね、治んないね〜)とは言え、少なくとも、その程度の自傷行為をもつ子供はクラスにゴロゴロいたわけで。勉強してたら眠くなるからって手に鉛筆さしてる子とか、手に刺青みたいに鉛筆の芯が入って色がついてる子も割といた。で、卒業後は、いわゆるエリートになったり有名人になった人も、割といる。

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毎週金曜に道の駅に来る浜田の魚屋さんを覗くのがもっとも楽しみな42歳、初春。ちなみにこの巨大タコの足を一本買いました。

今にしてみたらその環境はかなり危険だけど、でも、こんだけやったらそりゃそのくらいの症状は出るわな、くらいのテンションで、女の子同士でハゲの見せ合いっことかしてたもんね…。普通ならハゲで悩むところなんだろうけど、当時は超えなくてはならない逼迫した悩みが日々あったんだろう。思春期の悩みのジャンルって、周りの環境次第だと思う。プライベートな悩みを聞けば、ライフスタイルや交友関係が見えてくるものだ。

けど、おかげで今でも「こんだけ頑張ってんだから仕方ないよね」で、自身の起こすほとんどの失態を寛容に受け止めることができるようになってて、ある種メンタルが安定している。ぼーっとしてるとも言えるが。自分は自分を責めてはならないと決めているのだ。なぜならパフォーマンスが落ちるから。失うものが大きくなる上、誰のためにもならない。

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てか、先生もむちゃくちゃだった。

ヒイキや見て見ぬ振りは普通で。でも、なんか問題起こして相談室に呼び出されたりしたら泣きながら話をきてくれたり、族が構内にバイクで入ってきたらほうき持って追いかけたり。族がバイクで校内に入ってくるのなんて、そこそこあることだったから。ヤンキーの生徒たちは週末にドカタとかしてお金納めてたくらいだったから、みんなこそこそしてたけど、先生は逃げなかったんだよね。私はそんな姿をかいま見つつ、死んでも教員にはならんぞ。と心の碑に刻んだものだった。

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塾の先生も熱い人が多くて、サボったら男の子はビンタされたりしてたな。でも、誕生日はプレゼントくれたり。ハンカチとかメモ帳とかさ。結局、めっちゃ全力の大人に「お前、頑張れ」って言われたら、根本的に負けてるもんだからさ、いつの間にか頑張っちゃうんだよね。

私がありがたかったと真摯に思うのは、猛烈に頑張ってる人が「そんなんじゃ全然ダメだよ、もっと頑張れ」って罵倒してくれてたこと。おかげで今の自分があると思う。だから死ぬほど感謝しているし、私はパンチはしないけど(肩パンくらいはするよ年に1回くらい)でも、もっと頑張りなって言える大人でありたい。

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あ、ここんとこ老体にガタがきていて、こないだ、鍼に行ってたんですね。そしたら先生との世間話の中で「僕は親族から、出来損ないってずーっと言われててね〜。もっと頑張れって言われ続けてきたんで、子供には言いたくないんですよ」って言ってた。世論的に「頑張れって言っちゃダメ」ってのは、もしかしたらこの言葉のトラウマ世代が親になってるからなのかも。時代とトラウマがフィットしたというか。

私は頑張れって言われたことを感謝してますけどね〜、って言いたかったんですが、何しろ首にも鍼が刺さってたのでね、そこまで言及できずに、、、。

そのまま寝ちゃって、起きた時はもう忘れてて言えずじまい。

もし子供の頃の私に「頑張らなくていいよ、頑張りすぎだよ」なんて言う大人がいたら(記憶の限り皆無なのですが)当時は泣き虫で喘息やアトピー、今でもそうだけど貧血で、相当弱かったから、頑張らない理由はいくらでもあって、ハイパーダメ人間になってたと思う…それはそれでレジェンドとして君臨できたかもしれないけどさ。

ただ私に関して言えば、さっきも言ったんだけど、たくさんの大人や先輩が、時にはぶち当たり、時には突き放し、全力で関わってくれたおかげで今の自分はある。

自分が親になって、あそこまで本気で子供にぶつかったことがあるかと考えたら、数えるほどしかないと思う。ターニングポイントになったたくさんの事件の中で、その時は、自分の思惑通りにならず、大人の薄情な判断に噛み付いたりしたもんだけど、時間が経つと感謝に変わった。その度に、自分の思惑ってしょうもないなあと、痛感した。

私にできることといえば、今あるこのスペックでできることを社会に還元することしかないんだけど、心の中では未だうだつの上がらない私に「頑張れ」と言い続けてくれた彼らの幸せと繁栄を、ただただ願う。

カンサハミダ…ヨロカジロカンサハミダ。

でさ、よく目にする「頑張らないで」について考えてみると「頑張らなくていい人」ってどんな人なんだろう。という疑問にぶつかる。

ある時出会った、この動画。男にとって不都合な真実がたくさんの、西原理恵子のスピーチ。ほんと、すごいですね。女の子には全力で教えてあげたいね。

相手のことを思って、尽くして、くたびれてしまって、一緒にどんどんダメになってしまう人は、頑張らなくていい人だと思う。

罪悪感を植えつけて、マインドコントロールする「カバードアグレッション」は、パートナー間や家族内でもっとも起こっている、ってダイゴが言ってたけど、ほんとその通り。

意地悪はいかん。どんな関係性であれ、自己満足のための意地悪はいかん。

さらに被害者側もその関係性を助長するようなことは、結果的に同罪だ。悪しき関係に気づいて謙虚な心で離れるべきだ。そこは、相手に寄り添って頑張らなくていいはずだ。てか、頑張らないで。寄り添うことが罪のるつぼになっちゃうから。

そう、頑張らなくてもいい人はたくさんいるんだろうけど、まずはそんな風に誰かのために傷ついてる人たちだと思う。

 

投稿者: manbosblog

広島の県北、北広島町でカサコソ制作作業をしつつ、インドネシアのコーヒー、紅茶、塩の輸入をしてます。時々、産地視察と探検で日本を離れております。以前のブログは→https://manboblog.exblog.jp/ (株)ライフデザインマンボ 代表取締役

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