サクッと画力が上がる教え。

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こないだ参加した、天井画プロジェクト。3月には天井の工事が始まります!

子供の頃は、大人になったら字はきれいになるんだろうと思っていたのだが、気がつけば大人どころか人生も後半で、にも関わらず、字の汚さは年々加速の一途で、もはや病的レベルに達している昨今。

子供の頃って本当にぼんやりと人生設計をしていたんだなあ、と地味に思う。それだけ幸せだったってことですね、両親に感謝だなあ。

閲覧注意すぎて実際の筆跡は出せないのだが、本当にひどい。何でもかんでも忘れるので、食事の際には毎回タスクを紙に書くのが習慣なんだが、これが自分でも解読できず困ることが多々ある。じゃあきれいに書けよと言われるが、どうも我が脳内ではこの件に関してさほど問題視してないようで一向によくはならない。あ、あまりにひどいので文字の下に下線を引くようには気をつけている。せめて上下がわかるように。。涙

あと、うちの敏腕スタッフK氏は字が人知を超えた美しさなので、とりあえずもう、いい。

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しかし、私は子供の頃から落書きが好きだったし、絵を見るのも好きだった。

「上手だね〜」と褒めてもらうことは多々あったが、近しい友が、さらに絵がうまかったので、自分ではさほどうまいとも思ってはなかった。が、最近になって、もしかして私、実は本当に絵がうまいのではと思うようになった。

ああ、こうやって厄介な年寄りが完成するんだな、と感じたりもしている。

なぜ絵を描くようになったかと考えるとき、字が汚すぎたからなのではないかと思うこともある。字の代わりに絵を描いてるような節もあった。そのおかげで小学校時代は「描いて描いて」と休憩中には机の周りに子供らが集まってくるようなセレブライフだった。

そしてバイトなどを始める頃になるとバイト先の先輩方から「ポスター書いて」「ポップ書いて」と頼まれるようになった。

と、同時期に画伯だった祖父の影響もあり、美大なんぞに行ってみようかのうと思うようになり、まずは「画家に習う市民デッサンクラス」みたいなのに申し込んで、通うようになった。その講師から「うちのアトリエに学びに来なさい」とスカウトされたので毎週でっかい画板を背負ってベスパで習いに行ってたんだけど、実はその時の教えはいまだに役に立っている。

一つは「才能があるとかないとかは、絶対に考えるな」ということ。それは自分の決めることではない、と。それ考えたら窓から飛び降りるしかなくなるから、不毛な思考は捨てろと。

も一つは「描くことは、見ること」ということ。ものを見て描こうとするとき、色を見ず、明暗を見る。線を見ず、面で見る。多分、絵を描いてる人からしたら当たり前のことなんだけど、当時の私にはすんごい腑に落ちて、なぜこのことを図工や美術の時間に習わなかったのかと悶絶したものでした。

最近、うちの息子がスケッチをしてたので、得意げにこれを教えたら、「おおお〜!本当だ〜!!」と感動しておりました。それで色々思い出してこれ書いてるわけなんですけどもね。

どうゆうことかというと、例えばこのレモンを木炭デッサンで描くとします。デッサンってのは写真のように描くこと。

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ふむふむ、光の当たってる明るいところがあって、徐々に暗くなるんでしょ、と。なりますよね。それは違うのです。色が邪魔してるので、そんな感じに見えてるだけで、実際によーーーーく見てみると、陰影というものはそんなに単純ではありません。

え?よくわかんないよ!という人は、色を消して見るとわかります。

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光が当たっている真っ白なところから、単純に黒くなっていっている訳ではないということがわかりますか?

この作業は目を細めるとよくわかるんですが、レモン自体は球体であっても、陰影にも含まれる明暗のリズムを探し、球体をカクカクした面で捉えるのです。それについて書くと長くなるので、ちょうどいい記事がありましたのでこちらでご確認ください。

例えば左のレモンを見ても、もっとも光が当たっている白っぽいところのすぐ横にすごく暗い面がある。そこから少し明るい面があって、また暗い面になる。

この左のレモンのいちばん暗そうなイメージの下の部分を見てください。ほら、明るいんです。要するに、何かを見てものを描くときは、この陰影の面の組み合わせで描くのです。実物には線はないので。線のように見えているのは、面なんですね〜。すごいね〜。ぜひ試してみてね〜。

いや試すってどうやって?という人のために追記すると、例えばセンターのレモンのふちは、白い。その白い輪郭を線で描きたくなりますよね。でも、線で描かず、その後ろにある影を描くんですね。そうすると自ずとレモンの白い輪郭が生まれてくるのね、描くってことは、この繰り返しなのです。

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あ、思い出したついでにもうちょっと書くと、講師は当時倉敷では著名な画伯だったのだが、カツラがとても印象的で、セザンヌ狂で、厳しい先生だった…んだろうけど、私は眼中になかったようで一度として怒られたことはなくて、毎回アトリエはたくさんの学生で埋まっていたけど、彼らはよく泣いていた。

てか、私が褒められたら隣の奴が泣き出す、みたいな意味不明な自体もあったりしてそんなこんなでもし美大に行ったらこんな感じの人たちと4年も過ごさなきゃいけないのか、生き地獄だな。と、早い段階で「進学は、ナシ」と方向性に見切りをつけることができたのは何よりの収穫だった。今思えば、満足するにはサンプルが極端すぎるとは思うが、まあ、これもまた、運命…。

そしてその画伯は色々なことを教えてくれたが、大変なセザンヌ狂で、セザンヌの激しさを愛してやまない人だった、いや、セザンヌって静止画とか風景画とかでしょ。激しくなくね?って思いますよね。cezanne.jpg

しかし画伯とセザンヌを観ていると、本当に激しく見えてくるんですよ、マジックですね〜。この左の松の木、またその他の枝、ランダムな角度。激しく強い風が吹きすさぶ中で、セザンヌがこの絵を描いていたことがわかるのですどの画家もそうなんでしょうけど、描いてないものを伝えることができるのが、ゲージュツな訳で。だからデッサンに対しても厳しくて、どんなにそっくりにかけても、そっくりなら写真でいい。と罵倒してました。動きを描けと。人物なら振り返った瞬間だったり、静物ならユラっと転がった瞬間だったり、その前後の空気感を描けと。

ま。どんな分野であれ見る目がある人がそばにいると、人生は何倍にも面白くなりますね。田舎暮らしをしていると、ものすごい目をお持ちの方とたくさん知り合えるので、人生が無限大に面白くなりますよ。

ちなみにその当時、パンクやグランジが好きだった私は、身近で尊敬していたDJや藤原ヒロシやラッパーなどなど音楽を極めていく人たちは、なぜポップにいくのだろうかと、ポップの魅力が全く理解できずに思い悩んでいた訳ですが、最近やっとわかるようになってきた、長かったよ。

 

 

 

 

 

 

投稿者: manbosblog

広島の県北、北広島町でカサコソ制作作業をしつつ、インドネシアのコーヒー、紅茶、塩の輸入をしてます。時々、産地視察と探検で日本を離れております。以前のブログは→https://manboblog.exblog.jp/ (株)ライフデザインマンボ 代表取締役

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