
先日、私の撮った写真を見た2人の自称霊感が強い女子に「ぎゃー!怖い、一瞬で鳥肌すごい」と言われました。
何かが写っていると。
何かって何ですか?
…と聞くと「何とかははっきりは分からないけど、強力な何か。」と。
それは、こないだ「manboさんが店のカゴ持って帰ってるのスタッフが見たんで、返してください」と言われた時に、持って帰らないし、見たっていうスタッフって誰ですか?と聞いたら「それはまあ誰とかは別にいいんですけど」って言われた時と同じくらい怖かった。

世の中には理解できない事態に巻き込まれることが多々ある。しかし、理解できないからといって、そんなことにつまずいていては、寿命がいくらあっても足りなくなってしまう。
そもそも、今見てる星の光が、ずっと昔に光ったものだということすら、いまだに理解できてないし、そんなこと言ったら飛行機が飛ぶことも、鉄の塊の船が浮かぶことだって、いや、車が走る仕組みも、なんなら自転車が…いやもう、今この瞬間、爪や髪が伸びてることだって、とにかく身の上に起き続けているほとんどのことを理解せずに、しかし個人的には幸せに生きているのだから。
他人が理解できないことをしたとか言ったとか、そんなもんはもう、よその惑星の話で、そりゃまあその惑星にはそんな風習もあるのでしょうね、知らないことばかりですわ、おほほほほ、というような話ではないでしょうか。
ただ、もしそのような事態に遭遇した際、自分には今後の寿命全て費やしたところで理解できないことがたくさんあるのだな、ということを知る、ということは大事なことだと思うのです。
知らなかったことを、知るって、大事ですね。何歳になっても。

自分の見解で他人を理解しようとするのは、一見、良いことのようだけど、すんごいエゴイズムだと思うんです。それは「信じる」ということに似ていて、自分の作った箱庭に、誰かを沈めるような構造のように思う。理解ではなく、知っておけばいいのではないかと思うんです、相手の行動パターンをある程度。もちろん、どのみち最終的には理解できない、ということも含めて。

あ、そんで文頭の話には続きがあって、なんて言われたんだっけかな「あなた霊感あるでしょ」とかなんかそんな感じで「いや、何もないし、その写真も何も感じません」と言ったのですが、田舎暮らしだから夜の運転とかも長いし、トンネルもたくさんあるし、振り返れなしバックミラーも見れなくなっちゃうから、とにかく、もう怖い話をふっかけるのはやめてほしいですね、普通に。
あ、しかもこの話にはさらに続きがあって、その後その足でおなじみの鍼灸院に行ったんですね。そんで笑い話にしようと思い、F先生に「霊感なんて全くないんですけどこんなこと言われましてねー。ウケますねー」と言うと「僕も霊感とかないんですけど、あなたはあると思います」と言われてさらに怖くなり。

もしかしたらこれはある種の社交辞令的なお世辞なのかもしれないが、いやその逆なのかもしれないが、怖いのでせっせとアウトプットします、ふう・・・
