母(享年64)の誕生日に、つづる。

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今日は母(享年64)の誕生日で、、同居のmanboチルドレン2名と、東京から体調不良で戻っていた娘1名と、近所の居酒屋で乾杯をした。
「おばあちゃんがいなかったら、私たちもいなかったんだからね」ということで。「いやそれ言ったら全部そうでしょう」と言われたんですが、そう、全部そうなんです。今ここで自分が生きてることってすんごい奇跡的なこと。
先日、気功の先生(70)が、自分たちが幼少期には「1000万の精子の中から最高のものが元になって君たちは生まれてきたんだよ」と、あらゆるシーンで教員から言われたそうです。それが最近、「精子はある一つの精子が卵子と結ばれるために他のものは道を譲っている」と教えられて衝撃を受けたそうです。

前者には地域性もあるんだと思いますが。でも私は、人間は自然淘汰しないし、遺伝子は最高のものだけが残ってるとは思わないので、後者は理にかなってる気がしました。それに、私たちがいいと思うものが人類の歴史上良いものとはいえないしね。

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私たちはいつも最善のものをチョイスしてると思って生きてる。
でも、いつも後悔したり、悔い改めたりしてる。なぜならそれは最善のチョイスではないから。ただ、その判断は、自分一人に委ねるべきではないと思う。もし自分が、間違っていたと感じても、それは他者にとっては正しいことかもしれない。でも自分の中で間違っているなら、自分の人生の中で次にはそうしなければいいだけのことで。私はいつも、そう思う。間違いが悪いんじゃなく、事実を見ないことが問題なんだと思う。でも、それは私の思いで、誰もが事実を見る必要はないと思う。実際、事実にはそれほどの意味はないのだから。大事なのは今、幸せであること。幸せになる努力をすること。
「罪のないものがまず初めに石を投げよ」もし、辛い事実があったとしても、だれかがそれを責めることはできないし、もし辛くて毎日が苦しいなら、そのことはなかったことにしてもいいと思う。苦手な人がいるなら、その人の電話番号は消していいと思うし、辛い過去はなかったことにしていいと思う。まずは元気になって、コンチクショー!って気持ちになったら、誰かと一緒に向き合ったらいいと思う。事実って言ったってそりゃめっちゃ個人的な問題だから。
母は破天荒な人だったけど、自分を許せなかったんだろう。
長寿化系の家で、サクッと早死にしてしまった。残された私は、いつまでたっても、ただただ寂しい。この誕生日もこれから先もずっと一緒に祝いたかった。でも、母の立場になると、本望だったろうと思う。

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奇しくも、母の誕生日に、母のお墓の図案が届いた。12月15日に完成するらしい。奉仕していた牧師のご両親が眠るキリスト教式のお墓をとても素敵だと言っていた母。本人は遺灰は海に撒いてと言ってたけど、紆余曲折あって私は母のためにそんなお墓をデザインした。芸は身を助く。
私はいつも、母が喜ぶかな、呆れるかな、そればかり考えてきたし、母のわがままはなんでも聞いてきた。それでも底なしにわがままな人で、もう燃え尽きてこれで母がいなくなってもなんの悔いもないわって安心してたけど、母のいない誕生日を迎えると。今日だっていまだって一緒にお誕生日を祝いたかったなあって、人並みにそればかり。

でもわかってるんです、私みたいな人間はこんな思いを抱いて生きることがとても大事ということと、私たち、一番いいタイミングで離れられたってこと。

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投稿者: manbosblog

広島の県北、北広島町でカサコソ制作作業をしつつ、インドネシアのコーヒー、紅茶、塩の輸入をしてます。時々、産地視察と探検で日本を離れております。以前のブログは→https://manboblog.exblog.jp/ (株)ライフデザインマンボ 代表取締役

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