manbo家の教育が、わりと自由ではないという話。

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こないだの廿日市での花火大会、綺麗でしたね!

今日は土曜だけど来週の準備で朝から市内の某工場にてやらねばならない作業があって、さらに夕方から北広島町で予定があり、忙しい週末になるなあって今週は思っていたのですが、準備していたら急激に全てのやる気がなくなり、今日はもう、静かに過ごそう、、、と、地味な作業をしつつ、いまに至る。地味な作業も大事よね、と言い聞かせつつ、、、。

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先日、小学校から夏休みの宿題が返ってきまして、その中の工作の作品の着色が猛烈に手抜きだったので、私、勝手に真っ白に塗ったのね。ひどいよね。うふふ。

そうするとまあ作者本人はふてくされるわけですが、その作品は、何度も「きちんと仕上げなさい」と言っていたものだったのでね。もう提出する必要も期限もないんだし、ゆっくりでもいいから丁寧に仕上げなさい、と。しかし本人は「あれでよかったんだ」と言い張るわけで。それならそれでもいいんですけどね。普通は。もし、算数や理科なら、まあ、よく頑張ったね、って言うと思うんですよ。でも、この人の想像力や器用さからしたら、この作品はあり得ないだろうと。

本人が満足できるとこまで引っ張ってる最中。

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先日のかたりべさんが被曝したのは16歳、すでに国鉄(JR)で勤務して家族を助けてました。

てか、娘ももう年生。5歳ならいいんだけど、10歳だからね。子育てしてるとよく思うことなんだけど、橋本左内は15歳で啓発録を書いた。そりゃ、橋本左内だからね、という話なんだけど、何が言いたいかっていうと、子供の成長を見守る中でダメなのは、過大評価、そしてもっとダメなのは過小評価だと思う。

こないだうちの兄弟から「春恵さん(私)はどうして親のいうことを聞かないの?」と怒られたのですが、いや、本人なりに聞いてるつもりなんですけども、などと言ってさらに怒られまして。私、確かに子供の頃から兄弟の中で唯一よく怒られておりました、それはもう、いまだったらうちの親、逮捕されちゃうんじゃないってほど。。。けど、どうも私は昔からあまり他人に興味がないようで、自分ばかり怒られているという感覚はほとんど記憶になく、ただ、兄弟からはあの人ばかり怒られている、という感覚は激しく残ったようです。そもそも幼少期より、何かできたところで親から「すごい!よく頑張ったね!」とか言われたことはなくてですね。残念そうに「もっとできたんじゃないの?」と、聞かれてました、多分、相当目に余るものがあったのでしょう。。。

おかげで「もっと頑張れたのではないか、私」精神が育ち、外に出てみると割とどこででも先輩から可愛がってもらって(いろんな意味で)いまに至ります。自分も大人になった今、一つ言えるのは、うちの親は私を過小評価していなかったのだろうと。親には感謝感激雨あられですが、その辺も踏まえてもうちょっと成長しなくちゃいけませんね、私。。。

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長安Mはプロダーツプレイヤーとして邁進中。一体どんな世界なのかしらね。。

うちはありがたいことに子供が四人いたので、いろんなタイプと接してくることができました。よく「manbo家は自由な教育方針」と思われています。確かに「就活するな」とか言ってるし、学校休んで海外に行かせたり、自由なところもあるかもしれません、が、不動の禁止条例もあるのです。長男から始まって高校卒業まではスマホは禁止、準じて家の中で個人のネットも禁止、テレビも許可がない限り禁止、ゲームに至っては5億%禁止。周知の事実として、外侮より購入し弊社へ持ち込まれたDSなどは100円で売り飛ばされます。どのような自体になろうとも、それはずっとそうです。

だって、子供の時間が勿体無いから。永遠に溢れ出てくる刺激を、子供の脳みそでどうやって処理することができるというのだ、無理だよ。

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母の一周忌、お世話になった皆様と、あやくらさんにてささやかに。

まあ、他にもあるんですよ、敬語で話すとか、お菓子の買い置きはしないとか、細かく言えば色々と。でもそれは今回は置いといて。

母が他界したのでますます思う。時は金なりと言いますが、実際は時はプライスレスで、もしかしたら時がお金程度の価値の人間だっているんでしょうけども、本当は時はお金よりも貴重なものです。特に子供の時の時間というのは大人のそれよりももっともっと貴重なので、それは時代が変わっても同じはずです。まあ、人の寿命が倍になったりしたら別なんでしょうけど。それは私が大人だからわかることで、子供の時にはわかりませんでしたから、教えなくてはならないと思って、いついかなる反感を買おうともこの方針でやってきたわけです。

もちろん、判断力があれば、なんだってOKなのです、それらが全て害悪なのではなく、使いこなせない人に持たせることが害を生むと言ってるわけで。きちがいにテポドン発射装置を持たせたら危ないのと同じで。迷惑だわ誰のためにもならんわで。うさぎと狼に、仲良くしてね、って一緒の檻に入れたら、危ないでしょう、もう、理念とかじゃなく、普通に当たり前に、ただそれだけのことなんです。

いやしかし、世の中には知性に富み、合理的に物事を捉え、ひいては社会に最大の貢献ができてしまうようなお子様ってのもいるのです。そんな人なら、スマホひとつであらゆることを飛躍的に成長させることができるでしょうし、小さな時間に限りない生産性を生むことも可能でしょう。ただ、それは非常に限られた人材、それこそ橋本左内のような人なんだと思う。

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普段が低刺激だと、割と普通のことでも相当はしゃぐ人材が育つ。

あるインタビューで、ホリエモンが「子供にスマホ持たせれば、ずーっといじってんだから自分たち大人よりも早く成長するだろうし、みんなに配ったらいい」と言ってました、それに対して、教育者が「でも、ゲーム漬けになったり、犯罪につながるような事件や、自殺など、様々なリスクがありますが、それについてはどう対策したらいいと思いますか?」と聞くと、その答えが秀逸だったんです。「なぜ、すぐに下を見るんですか?俺はそのレベルの人の話、してないんですけど」。

これ。

いまこの論点で議論されているのは、誰についてなのか。例えば「みんな」という単語が指している「みんな」は誰なのか。まずはここが整わないから、おかしな常識やあり得ない事態が死ぬほど起こるんだと思う。

どんなにシンプルな発言も昔ながらの物語も、対象者によって受け取り方が変わる。受け取り方が変わるというのは、もし物語が「人に何かを伝える」ことが存在意義になるのだとしたら、存在意義が変わるということ。それは物語の意味することや内容が変わってしまうということ。シンプルな同じ物語が受け取り方によって、意味や内容が変わってしまい、それがもたらす結果も変わる。言葉にして見ると、なんじゃそりゃ、そんなわけないだろ、って思うかもしれないけど、観察して見て欲しい、良くも悪くも世の中こんなことだらけ。だからそんな差異を発生させたくなかったら、対象を明確にして、ある程度認識を揃えた上で語ることが重要な気がする。まどろっこしくても。「どんなに周りの受け止め方が変わっても、本質は変わらないから問題ないのでは?」という意見もある。確かに。でも、実は人間は「本質」を最も重視しているわけではないのだ。誰だって「本質」だけを大事にあれこれジャッジしてるわけじゃないのですよ。

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先日、カフェで美味しいお茶を立ててくださったK氏、ありがとうございました。

だから「よく頑張ったね」ということによって、伸び代をかき消してしまってる可能性ってのは大いにあると思う。これはとても勿体無い。

ただこれは、魚に「そんなとこ寒いから布団で寝なさい」って言ったって、死んじゃうんだけど、「もっと広いとこで泳ぎなさい」って広いとこに移したら、鯨に化けるかもしれないっていう話で、無理なことをさせるのはもっとも積み出し、全てが勿体無いとも思う。だから、一律の宿題や画一化を目指す教育とかは、若い芽を早くから積んでしまうだろうし、相当勿体無いような気もする。

某著名校長の言葉に「多くの教員は勉強することの意味を履き違えてしまっている。だからむやみやたらに宿題を出す。本来の勉強の意味とは、生徒たちが『分かる』『分からない』を自覚し、分からないことを分かるようにすること。一律に宿題を課せば、すでに分かる状態にある生徒に無駄な時間を強いることになる」とありました。

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確かに、、でも多くの「教員」が宿題を出したくて出しているわけではないと思うのですよ。だから「多くの教員」にあーだこーだ言うのではなく、自治体の教育委員会に理論的に指針を示してもらうことが重要ではないかと。だって猛烈に大変だよ、たくさんの宿題、先生にとっても。娘の担任の先生は、家に持って帰って丸付けやチェックをしてくれてます、先生は絶対に言わないけど、その丁寧な対応ときたら。日記ひとつ見たって丸付けやコメントでひしひしと伝わってくるんですよ、ありがたすぎて、泣けます。たまに参観日やPTCに行っても、そりゃもうものすごい労働で。あんだけ授業の準備や指導に時間もエネルギーも使って、宿題や提出物のケア?学校の中だけで終わるわけがない。けど、もしそんな先生がたの努力が「無駄」と言われてしまうのであれば。暴動が起きてもおかしくない。だって宿題がなければ、先生だって仕事終わって自分の時間を楽しんだり、家族とゆっくりしたりできるのではないか、と思うよ。

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だからそんな先生方に「無駄なことをするな」などと、一度たりともその仕事を手伝ったことのない私のような人間は言ってはならないのではないかと思う。あ、そうそう!その、某校長がまたいいことを言っていて「大人たちが人を批判する姿ばかり見せていると、同じように人を批判することばかりが先行する子どもが育つ。そんな子は自律のスイッチを押せなくなり、うまくいかないことがあるとすぐに友だちや先生、親のせいにする。子どもを見ていて『人を批判しなくなったな』と感じたら、それは成長の証」と。親たるもの、心して聞かねばなりません。わが子が人を批判しなくなったら、褒めましょう。

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でもまあね、親子って切っても切れないものですから、どのように育とうと責任持って関わるのは親なんですよね、良くも悪くも。だったら一人一人の伸び代を見極めて、他人の言葉を安直に聞かないことはとても重要。人の可能性は無限大、人に優劣はないとしても、作品や才能にはある。だからこそ、たとえ10歳の娘でも、手抜き作品をバカにしたり、努力している人の邪魔をする時間があるなら、成し遂げた人を称賛して、努力する方に回って。と、言いたいわけです。どうであっても家族は家族。子供はいつまでも子供じゃないし、お互い、限られた時間の中で切磋琢磨できたらこれ幸いです。

投稿者: manbosblog

広島の県北、北広島町でカサコソ制作作業をしつつ、インドネシアのコーヒー、紅茶、塩の輸入をしてます。時々、産地視察と探検で日本を離れております。以前のブログは→https://manboblog.exblog.jp/ (株)ライフデザインマンボ 代表取締役

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